ボリビアの鉱山を訪ねて by  松村 剛



  今春、かつて、世界一の銀鉱山として栄えたボリビアのポトシに、観光で、行って来ました。また、首都ラパスからポトシまでの長距離バスの中継地、オルーロという町に立ち寄りましたが、当地が、銀や錫の鉱山の町として栄えてきたことを、到着後に、偶然知りました。調べるうちに、近くのリャリャグアという町には、世界一の錫鉱山があったことが分かり、訪問してきました。以上三都市を訪ねた様子を報告します。




1月7日(金)     オルーロのサンホセ鉱山

   昨日、観光案内所で、大きな市街地図を買った。主な観光場所を見ると、サンホセ鉱山というのが書いてある。早速、係りの女の人に尋ねるとよく分からない様子で、電話をかけ始めた。しばらくすると、男性が現れ、事情を聞くと、スペイン語で説明してくれたがさっぱりわからない。相手も、察して、メサンホセ鉱山モ用紙になにやら言葉を書いてくれた。停留所らしき名前と「黄色のミクロ(市内バス)」と書いて、何か気づいたように、どこかに電話しだした。そして、「無線タクシー」と書き足した。「タクシーに電話しろ」ということらしい。意味がよくわからなかったが、今日になってはっきりわかった。市内のバスがストで止まっているのだ。昨年末から、ガソリンの値上げに反対して各地でストが起こっていたのだ。走っているのは、タクシーだけ。交渉すると、鉱山まで10ボリビアーノという。なんと、首都のラパスからオルーロまで三時間半かかるバスが10ボリビアーノだったのだ。(ま、日本円にして132円ですが・・・)しかし、他に足のない身、仕方なく乗って、鉱山へ。
   約10分ほどだった。車から降りて、住宅街の間の坂を上っていくと、大きな坑口のある広場が見えてきた。山全体にほうぼう小さな坑口が見える。また、あちこちに、ズリの山がある。一人、しばらくするとまた一人とヘッドランプをつけたヘルメットに長靴ばきの鉱夫が、肩にリュックをしょって抗口の暗闇の中に入っていく。閉山後も、細々と採鉱しているようだ。しばらく眺めていると、ここにすんでいるらしい男たちに囲まれた。私が鉱石に興味があると分かると、うちから、新聞紙に包んだ鉱石を持ってきてみせる。現地の言葉で、鉱物の説明をしてくれるが分からない。結晶がはっきりしている方鉛鉱を2つ買った。そのうち雨が降ってきて、男たちはちりぢりに。しばらくして雨はやみ、ズリを歩いてみた。ズリには、石を拾っている女の人が一人いるだけで、不気味なくらい静か。黄鉄鋼や磁硫鉄鋼などの鉄鉱石が多く目に付いた。
  余談ながら、ここオルーロの町は、鉱山で栄えてきた歴史があり、郊外に鉱山大学があります。大学構内には、付属の鉱山博物館があります。午後、行ってみましたが、残念ながら閉まっていて、入れませんでした。ただ、外から窓を通してのぞいた限りでは、ガラスケースの中に、たくさんの小箱に入った標本が並べられているという専門的で地味な感じでした。  
  もう一つ、興味深いのは、有名なカーニバルのパレードが最後にたどり着く広場前の教会は、鉱山と深い関係があるようです。教会の建物の内部には、地下に続く長い石の階段があり、下に降りていくと、古い鉱山跡につながっています。進入禁止の地点まで50mくらいの坑道ですが、途中に、鉱石標本や工具類、鉱山の分布図などが展示してあります。この分布図を見ると、この町の鉱山の多さに驚くことでしょう。



  

1月8日(土)     リャリャグアのシグロ・ベインテ

   オルーロを朝の8時半に出発したバスは、途中、1時間ぐらいで大きな町を通過したが、ここも錫の鉱山町らしい。川の土砂をさらって錫石を採るらしく、河原には、簡素な作業小屋と無数の砂の小山ができている。この町を過ぎると、険しい山をバスは登り始める。その草木のない山のあちこちには、やはり坑口らしきものが見える。周りには人家らしきものがなにも見えないところでで、乗客を降ろしたり乗せたりしながら、なだらかな高原をバスは進む。遠くには、リャマの群が・・・。リャリャグアに着いたのは、11時半だった。
リャリャグアのシグロベインテ   露店で買ったジャガイモ入りの揚げパンとコーラで簡単に昼食を済ませた後、鉱山は山の上だろうと予想してそのまま町中をつききって、石畳を上っていった。すごい急坂で、しかも4000m近い高所のため、すぐに息が切れる。こちらは、十数歩上っては休んでいるのに、地元の人は平気で休まず上がっていく。我慢して上るしかない。川を越えて対岸に出ると自動車が通れる大きな道があった。これなら、タクシーで来られたのに・・・・・・。砂利道を辛抱強く上っていくと、方々の庭先で、なにやら家族で仕事をしている。重い半円柱のコンクリートをシーソーのように動かして鉱石をつぶしたり、つぶした粉をドラム缶で比重選鉱したりしている。相当力がいる重労働である。ざっと数えて50カ所もあるようで、とても活気が見られた。集落を過ぎて、さらに登るとやっと鉱山の建物が見えてきた。そこにはトロッコで運び出された、砂状の鉱石が積み上げてあった。作業員も10人ばかり。砂状の山から5ミリほどの錫石を採って見せてくれた。どこかで細かく粉砕した後らしい。レールの敷かれた抗口の中からは、ぽつりぽつりと、中身の入ったリュックを担いで鉱夫が出てき、さっきの集落まで淡々と降りていく。トロッコを使って集団で掘っている人もいれば、個人で掘っている人もいるようで、採掘権はどうなっているのかよく分からない。
   バスターミナルに引き返そうと町はずれを下っていくと、そこには紛れもなく、かつてのシグロ・ベインテ(日本語に直すと「20世紀」)の大きな鉱山施設が取り残されてあった。(隣り合うズリの真っ白い砂山はこのところから数キロ続く山並みを作っているのがバスから見える。)ここはかつて世界1の産出量を誇った錫の鉱山だったのだ。鉱石を運んだレール、放置されたトロッコ、運んできた鉱石を落とした大きな穴、鉱石を粉砕した建物、比重選鉱をしたであろう建物(よく分からない)、ベルトコンベアーの列、などなどが原形をとどめて残っている。しかも、鉱石を運んだかつての貯鉱場所の近くで、女の人3人が、座って、ハンマーをふるって錫を採りだしていた。1日中、石をたたいている感じだった。これも重労働・・・。線路をたどっていくと、鉱山会社の木造の建物が現れ、トロッコ電車も。しかも、10人ばかりの鉱夫たちがなにやら楽しそうに雑談しながら、電車の周りでなにやら準備している。そのうち電車に乗り出した。え!この電車、動くの?驚く間もなく一人が、手に持った金属の棒を電線に接触させた。お!お!!なんと火花を出して電車が走り出した。無造作にぶら下がっていた電線には、電気が来ていたのだ。今の時刻は午後4時。これから鉱石を採りに行くのか。ま、坑内に入れば、昼も夜もないのだろうが・・・。感動した。鉱山は1985年にその幕を閉じたと聞いていた。どっこい、鉱夫たちは、元気に働いていた。この後、バスターミナルに行く道すがら、工場の門の中で数人が見張りをしているのが見えた。はっきりとは分からないが、自主管理している雰囲気だった。
   満足したのはいいが、帰りのバスに乗ったのは5時。途中で降り出した雨は、峠を越える頃には雪になり、積もりだした。スリップしたら谷底に真っ逆さまだ。天候のため暗くなり、ますます怖くなる。無事、峠を越えオルーロに戻ることができたときは、正直ほっとした。





1月11日(火)     ポトシの鉱山

   約束の時間9時より20分も早く、ホテルにツアー会社の自動車が迎えに来た。このため、朝のトイレはなし。外に出ると、今日は、バスだけでなくタクシーまでもスト。で、道路はがらがら。まず、旅行会社に立ち寄り、他の観光客が集まるのを待つ。英語を話す2人の男子学生と、スペイン語が母国語の6人ほどの男女の学生が集まった。まず、鉱夫に渡すみやげを買いに行く。コーラなどの清涼飲料4,5本、コカの葉4,5袋、ダイナマイト2本も買った。その次は、ガイドの家にいき、着替え。上下雨合羽を着込み、長靴を履く。蓄電池を腰のベルトに通して、ヘッドライト付きのヘルメットをかぶるという完全装備。しかも、おみやげの1リットル半のジュースやコカの葉を背中や腹の中に隠すよういわれる。このジュースの重さが腰にこたえる。ポトシ鉱山
   いよいよ、バンに乗り込んで、鉱山の山に出かける。すぐに坑内には入らず、電気施設の建物前で説明。小雨がぱらぱら降りだした。雨にお構いなしに、訳の分からない説明は続く。バンに乗って目的の鉱口へ。そこにいた作業員と話をつけ、いよいよ坑内に。坑内は結構狭い。きちんとしゃがみながら歩かないと天井に頭をぶつけそうな感じだ。なんだ寒いぞ!吐く息も白い。みなさん結構早く歩いていく。そのわけはだんだん分かってきた。トロッコを押している鉱夫のじゃまにならないよう、先頭を行くガイドが早足で歩くからだった。しかし、ここは高度4000mを越えている。さっき説明していたポンプで、空気を坑内に送っているといっても、空気は薄い。汗(冷や汗?)をかきながら、ついていく。まず、一人で狭い場所でたがねを打ち込んでいる鉱夫のもとへ。コカの葉をおみやげに話を聞く。狭くて写真は撮れないが、孤独な作業であることは分かる。次は、・・と、暗闇の中をトロッコを押してきている。坂になっているらしく、ここだけモーターで引っ張り上げた。トロッコの中は鉱石でいっぱい。よくも2人で引けるものだ。2人へのおみやげはファンタ。写真を撮らせてもらう。次は人1人通れるほどの穴に潜って、はしごを下りていく。肥満の人で体の固い人は無理だ。だんだん暑くなっていく。この奥では、2人が積み上げられた鉱石をハンマーで砕いてかごに乗せる仕事をしていた。いっぱいになると合図を送り上の人が引っ張り上げるのだ。これも大変な重労働だが、シャベルで砂をすくうように平気でごつごつした鉱石をすくってかごに入れている。このあたりから、坑内は粉塵がすごくなり、鼻が痛くなってきた。だれもが、歩きを止めて立ち止まったときは必ずと言っていいくらい鼻をかんだ。きっと顔も汚れているだろう。足のほうも、猿人のような姿勢で歩き回るので、ひざはとっくに笑いっぱなしだ。やはり、鉱山での仕事は尋常ではないことが分かる。さて、鉱山の神の前でまた長い説明、なにやらボリビアの貧しい現状、教育問題なども話してるようだ。坑内から出てきたときには、雨はやんでいた。この熱心なガイドは、最後に、ダイナマイトを爆発して見せた。150mくらい離れていただろうか。目で見た爆発の威力は、地上においたものだけにあまり感じなかった。が、音の方は、今まで聞いたことのない大きさの爆発音だった。そのこだまもすごかった。
   着替えを済ませ、旅行会社の前で解散したのは予定時刻(1時)を大幅に越えて、2時半だった。すぐ近くの中華店でランチを食べ、トイレを探して、開いていた旧造幣局の博物館に入った。ここのトイレはすばらしくきれいで清潔、おまけにペーパーまである。(ボリビアでは公共トイレは有料で紙は60センチくらいきってくれる。また、便座がないものが多い。)朝のぶんまで出して、すっきりした私は、気分良く大金20ボリビアーノを払ってツアーに参加。ここは、スペイン統治時代にポトシで掘り出した銀を貨幣にしたところなので、さまざまなコインや刻印する機械類などが展示されている。目を引いたところは、大きな鉱物標本が展示してある部屋。じっくり見たかったのだが、しばらくすると、ツアー参加者たちが次々と隣の部屋に行き、残っているのは私と警備員だけ、結局私も行かざるを得ませんでした。戸外の倉庫にも、鉱物標本を入れた部屋があります。説明の最後に、解説員は次のように話しました。「かつては、コインをたくさん造ったボリビアですが、いまのボリビアの貨幣はカナダなどの外国で造っています」と。少し、悲しくなりました。


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